戦国最強といわれる騎馬隊や風林火山の旗などで有名な戦国武将・武田信玄。甲斐(現在の山梨県)をおさめ、信濃(現在の長野県)へと勢力を伸ばしました。
これらの地で信玄が積極的に作らせた食べ物は、いまでも受け継がれています。今回は、そんな信玄とゆかりの深い食べ物を紹介します。信玄との関係や歴史を知っておくことで、山梨・長野の品々をもっと楽しめるようになるでしょう。
ほうとう
山梨県の名物として、ほうとうが挙げられます。小麦粉を練って作った平打ち麺と、白菜・人参・かぼちゃなどの野菜を味噌味のスープで煮込んだ料理です。
ほうとうの語源については、6世紀に中国で作られた書物『斉民要術(せいみんようじゅつ)』に登場する麺「餺飥(はくたく)」が日本に伝わったのちに「ほうとう」に変化した、という説が有力視されています。
信玄は、戦地で食べる陣中食としてほうとうを作らせました。その際、野菜をたくさん入れて煮込んだものが、「甲州風」として受け継がれていったとされています。
味噌
上記のほうとうに欠かせない味噌も、信玄が力を入れた食べ物です。特に信玄が支配していた甲斐・信濃の周りには海がなく塩が貴重だったため、塩の備蓄という側面もありました。
甲斐では米と麦、2種類の麹を使った「甲州みそ」が作られています。甲斐は山国で斜面が多く稲作に不向きな土地だったため、米麹の原料になる米が足りませんでした。この米不足を補うため、信玄は冬に使われない田畑で麦を育て、それを麹の原料にさせたといわれています。
信濃では、信玄が行軍のために作らせた「川中島溜(かわなかじまたまり)」から味噌づくりが広まったとされています。現在の長野県では「信州みそ」が盛んに作られていますが、その理由のひとつに信玄の意向があったようですね。
凍み豆腐(しみどうふ)
凍み豆腐は長野や東北地方で作られる食べ物で、豆腐を凍らせて乾燥させたものです。
高野山に由来するとされる「高野豆腐」と似ていますが、製法に違いがあります。高野豆腐は冬の寒気で豆腐を凍らせ、脱水したのちに火力で乾燥させるものです。その一方で凍み豆腐は、薄く切った豆腐を軒先に吊るして夜間の寒気と日中の太陽光にさらすことを繰り返し、自然乾燥させることで出来あがります。
信玄は保存のきく兵糧として、この凍み豆腐に着目しました。信濃の矢島(現在の長野県佐久市)では、信玄の要望を受けて凍み豆腐が生産されるようになったといわれています。
身近な食べ物から武田信玄を感じてみよう
信玄自身が開発、あるいは発展に貢献した食べ物として、
- ほうとう
- 味噌
- 凍み豆腐
を紹介してきました。これらはいまでも私たちが口にできるものです。戦国武将の影響力に思いをはせながら味わうのも、1つの楽しみ方かもしれません。
【参考文献】
・石毛直道、奥村彪夫、神崎宣武、山下諭一 編『日本の郷土料理④中部』(ぎょうせい、1986年)
・渡邊敦光 監修『味噌大全』(東京堂出版、2018)
・田村正紀「凍豆腐」(『日本調理科学会誌』28巻 2号、1995年)
【参考サイト】
・ほうとう…山梨県:農林水産省
・甲府市/「ほうとう」はなんと、『枕草子』にも登場していた!
・甲州みそって? | 五味醤油
・みその歴史(戦国時代〜江戸) | みそ蔵
・こうや豆腐年代記 | 旭松食品
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