天下統一を成し遂げた戦国武将・豊臣秀吉は、戦国時代を描いたドラマ・映画などで必ずといっていいほど登場する人物です。その秀吉が画面に映るとき、しばしば家紋も映し出されています。
秀吉の家紋について、
- どのような意味があるのか
- どのような経緯で使われるようになったのか
といったことを知っておくと、いま以上に作品を楽しめるようになります。
秀吉が使っていた家紋「桐」
秀吉は「桐」をモチーフとした家紋を使っていました。桐紋にはさまざまな種類があるのですが、秀吉が使ったものとしては五七桐(ごしちのきり)と五三桐(ごさんのきり)が挙げられます。ここでは、五七桐・五三桐それぞれの特徴、秀吉がそれらを使うようになった経緯を解説します。
五七桐(ごしちのきり)
五七桐は、左右の茎に5つ、中心の茎に7つの花が描かれた家紋です。天皇家、天皇家から直々に下賜された者が使える紋章であり、桐紋のなかでも特に格式の高い家紋といえます。私たちがドラマ・映画などでよく目にするのはこの五七桐です。
秀吉が五七桐を賜ったのは、天下統一を果たす4年前のことです。主君・織田信長の死後、秀吉は各地の有力者との戦いで勝利を収めていきます。そして天正14年(1586)、朝廷より豊臣姓を賜り、菊紋・桐紋(五七桐)を下賜されました。この紋章は秀吉が築いた大坂城や伏見城などの瓦に多く盛り込まれています。
また、秀吉は五七桐をアレンジした「太閤桐」(たいこうぎり)という家紋も用いていました。
五三桐(ごさんのきり)
五三桐は、左右の茎に3つ、中心の茎に5つの花が描かれた家紋です。桐紋を賜った者がさらに臣下などへ与えるときは、この五三桐が用いられました。
秀吉は織田信長の臣下だった頃、信長から五三桐を与えられたと考えられています。その信長も、室町幕府15代将軍・足利義昭から五三桐を下賜されていました。
桐紋はどのような紋章なのか?
桐はアオイ科アオギリ属の落葉樹です。中国において桐は、徳の高い優れた王が現れる際に出現する霊鳥・鳳凰が住む縁起のよい木とされていました。日本ではこの思想にならって、天皇家が衣服の文様として、さらに家紋として桐を用いるようになりました。
やがて桐紋は、天皇家から武家へと与えられるようになります。例えば、室町幕府を開いたことで知られる足利尊氏も桐紋を有していました。尊氏の桐紋については、鎌倉幕府を倒すのに貢献した褒美として、後醍醐天皇から授けられたものと考えられています。そして桐紋を下賜された者が、さらに自らの一門や臣下にも桐紋を与えるようになったことで、桐紋は武家に広まっていきました。
余談ですが、桐紋のデザイン上のモチーフになっているのはゴマノハグサ科(ノウゼンカズラ科とも)キリ属の桐です。画像のように淡い紫色の花を咲かせる樹木で、上記のアオギリ属の桐とは種類が異なります。
桐の前に使っていた家紋「沢瀉(おもだか)」
秀吉は織田信長から五三桐を与えられるまでは、沢瀉という家紋を使っていたと考えられています。その由来については、正室・高台院(こうだいいん)、通称「ねね」の生家・杉原家からもたらされたなど、諸説あり。
沢瀉はオモダカ科の多年草で、葉の面に葉脈が高く隆起していることから、「面高」とも表記されます。この面高という表記が「面目が立つ」を思い起こさせることから、縁起のよいモチーフとされています。また、葉の形が矢じりに似ていることから、「勝ち草」とされ武家に好まれました。
ひょうたんは秀吉の家紋ではなかった?
豊臣秀吉のシンボルと聞くと、ひょうたんを思い浮かべる人がいるかもしれません。ただ秀吉は家紋ではなく、戦場で武将の馬のそばに立ててその所在を示す「馬印」(うまじるし)として、ひょうたんを用いていたようです。
秀吉が織田信長に仕えていた頃、美濃国 (現在の岐阜県)の稲葉山城を攻める機会がありました。その際に合図としてひょうたんを振るうことで勝利に貢献した秀吉は、信長からひょうたんの馬印を使うことを許されます。その後は手柄を立てるごとにひょうたんの数を増やしていったとのこと。これがいわゆる「千成瓢箪(せんなりひょうたん)」です。
しかし、千成瓢箪は江戸時代の大衆小説における作り話であり、本来の馬印はひょうたんが1つだけのもの(画像参照)であったと考えられています。
秀吉の家紋は高い権威性を有していた
秀吉の用いていた桐紋は、天皇家と関係の深いものでした。特に五七桐は天皇家より直々に下賜されたものであり、自他ともに認める天下人のシンボルであったと考えられます。これをふまえて、秀吉が登場するドラマ・映画を観るときは家紋にも意識を向けてみると面白いのではないでしょうか?
【参考文献】
・沼田頼輔『日本紋章学』 新人物往来社、1972年
・高澤等『家紋大事典』 東京堂出版、2021年
・高橋賢一『旗指物』 新人物往来社、1996年
・加藤理文『織豊権力と城郭』 高志書院、2012年
【参考サイト】
桐はゴマノハグサ科のはずなのですが? | みんなのひろば | 日本植物生理学会
キリ
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